塾ブログ|個別指導Axis原校(名古屋市天白区の個別指導型学習塾)

塾長による塾での日常や入試関連などの教育情報、学習法や指導法を発信しています。

昨日の続き・・・

昨日の記事

 

axishara.com

 

可もなく不可もなくという状況で過ごしていましたが、中3の夏に青天霹靂というか自分には信じられない状況を突然父親から突き付けられたのですΣ( ̄ロ ̄lll)ガーン

 

父親から、進学先としてちょっと専門的な学校を勧められたというか、ほぼ強制的に決められたというか・・・

当然私はみなと同じように近所の高校に行きたいわけですよ。

そこから交渉を始めた結果・・・当時緑区に住んでいたのですが、父親から「天白高校」以上に合格したら自分の行きたいところへ行けというもの・・・(´・ω`・)エッ?

 

天白高校は内申目安33~34というのは当時もそうでした。

当時公立高校は学校群制度を取っていて、15校で組んだ学校群組と単独校組に分かれており、天白高校は単独校組でほぼトップクラスの高校・・・学校群組では旭丘は勿論のこと、千種高校の人気が高かったですね。

何せ組合せ先が旭丘と菊里でしたから・・・どちらに行ってもいいという判断ですよね。

どちらに?・・・そう学校群は1群から15群まで2校ずつ(1校は2つの群に属する)の組み合わせがあって、受験先は学校ではなく群で決めるんですよ。

で、受験して合格してもどっちに行くかは分からないってなってたんです。

 

ちなみに学校群の組み合わせを載せておきますね。

1群 菊里・千種
2群 千種・旭丘
3群 旭丘・北
4群 北・名西
5群 名西・中村
6群 中村・明和
7群 明和・松蔭
8群 松蔭・惟信
9群 惟信・熱田
10群 熱田・瑞陵
11群 瑞陵・桜台
12群 桜台・緑
13群 緑・昭和
14群 昭和・向陽
15群 向陽・菊里
こんな感じです。
 
話を戻しますが、その時の内申で天白なんて無理に決まってるという状況で何度も担任や最後は学校主任にまで志望校変更の話をされましたよ汗
1ランク落として、学校群の13群か単独校の東郷高校か・・・結構放課後に残されて懇々と話をされた時もありました。
(今の皆さんだと、天白高校より13群が下?東郷高校が1ランク程度の差?と思うでしょうが、当時は緑高校のレベルは低く、昭和高校も今ほどレベルではなかったのと、東郷高校は軍隊学校と揶揄されていて、落ち目になっていっていましたが、まだ今ほどレベルは低くなかったのです。)
しかし、親の意向なのでと言えば、それ以上は・・・ね。
 
さあ、ここからが今の私の礎を築いたとも言える物語が始まります笑
まずは、内申点を上げるべく科目担任と交渉を始めました。
定期テストで何点以上取ったら「4」をくれというシンプルな交渉です。
大体、90点以上でしたね・・・中には95点以上というのもありました。
しかし、確約はしてもらえません・・・当然ですよね、相対評価でしたし、テストの点数だけで内申点は付けられませんし。
それでも、2学期、学年末と常に交渉し、条件をクリアしながら、どうにか内申点を「30」まで上げる事が出来ました。
 
どうやってテストの点数を上げるべく勉強をしたか・・・こんな状況であっても家で勉強はしたくない、いや家で勉強しないことを自分が一番よく分かっていたので、学校に居残って勉強をしました。
その日授業のあった科目で分からなかったところを理解できるまでと、苦手な数学と理科の勉強を月曜~土曜まで毎日やりました。(当時土曜日は午前中学校がありました。)
時間にすると、1日大体2~3時間でしたでしょうか。
そして、一人で出来るはずもないので、クラスでトップクラスの奴ら(自分のクラスは何故か学年トップクラスの奴らが集まっていた)も結構残っていたので、マンツーマンで理解できるまでしつこく教えてもらっていました。
(今思えば迷惑というか嫌だったろうな~と思います。でも何だかんだと自分が帰る時間になっても付き合ってくれたな~と・・・いい思い出です。)
 
今日で締めくくろうと思っていたのに、1,500字を超えていました。
ちょっと長いですね・・・申し訳ないです。
続きはまた明日書きます。